春先や初夏になると、棘だらけのたらの木に気をつけて、その新芽をとるために祖母とよく山に出かける。私は指を何度となくたらの棘に突き刺し、いつも泣きそうになるのだが、そうやって自分でとった取り立ての「たらの芽」は苦みも少なく、本当に美味しい山菜料理となるのだ。
 女は、先ほど私が言った言葉が少しは堪えたのか、夕食の時の席は私から離れた所に座っていた。
 夕食が終わり、就寝の床についたのは、まだ夜の9:00頃だった。
 テレビを見る以外、特にやることもない冬の山では、就寝はいつもこれくらいの時間になる。それに明日は朝から山へと登る計画なのだ。私と父とあの女は、それぞれ別の部屋で就寝する事になった。昔は、母が私の添い寝をしてくれ、私が眠れない時にはいろいろな話をしてくれた物だが、あの女にそれを求める気は毛頭ない。
 私は明日の事を考え、今日はこのまま大人しく眠る事にした。
 あぁあ、つまんないなぁ…。

 その日記の日付は、新野一家の行方不明の届け出があった丁度一週間前だった。
 二月二十日と言えば、まだ登山許可がおりていない。
 登山慣れしている登山家ほど、登山にあたってのルールは厳守する筈だ。それが何故このような事態になったのか、野上は核心に向かいつつある日記に目を凝らした。