自分のような大勢の中の一人にはしたくない。人の上に立つ人になってほしい。                                   
 ただその一心だった。                         
 息子がまだ言葉をろくに話せない頃から、教育を施した。                                 
 そんな私の行動に妻は異議を唱え、私がそれをはねのけると自然と離婚することになった。                              
 裁判になったものの、経済面の理由から私は当たり前に親権を得て、それを期に都会に引っ越すことにした。                                

 教育するにしても、周囲の環境が整っていなければならないと思ったからだ。