ジェネシス(創世記)

七六八年頃、フランスではカルル大帝がユダ人を「王の動産」として保護したが、カソリク教会(ローマ教皇を最高指導者とする宗派)の勢力の増大によりユダ人は一三九四年、フランスから追放されてしまった。

けれどもフランス革命(一七八九年~一七九九年)時代、一七九一年、法の下の平等にもとづき、「人権宣言(人及び市民の権利の主張)」が唱えられた。一転してユダ人は、その権利を与えられた。

一0七九年、イタリアでは、ラテラノ公会議(ローマの宮殿)で、ユダ人を強制収容した居住地が設置されるようになった。

一五一六年、イタリアのベネチアでは「ゲットー」と呼ばれた。それは一九世紀末には消滅していったが、ロシアやドイツでは存続していた。

 一二九0年、イギリス。ユダ人は迫害を受け追放されてしまうが、その商才を買われて一六五六年に再移住を許された。

大英帝国は大航海時代、海外に勢力を延ばしていた。ポルトガルやオランダの列強諸国に対抗するため、貿易力を高めるためにユダ人の能力を必要としたのであろう。そのため、ロンドンにユダ人の居住区が認められた。

 ロシアのクリミア半島(黒海)では、ユダ人は二世紀頃から居住していた。しかし九八九年、キエル公国が「ギリシャ正教」を導入してからまた迫害が始まった。

一二四0年、十字軍の遠征とモンゴル国(こく)のロシア征服により、ユダ人の移住が拡大した。

 それを忌み嫌った帝政ロシアは、一七五三年、ユダ人を追放し隔離するのであった。ユダ人の村として、「シュテーナル」が形成された。

 一八八一年、帝政ロシアの崩壊とともにユダ人は大虐殺されてしまった。これが引き金となって、シオニズム(ユダ人の民族を尊重し、中近東のパレスチナの首都エルサレムに国民国家を築くこと)運動が起こり、ラエル建国の礎を築くことになった。