ジェネシス(創世記)

ユダとクリストス

 ユダ人は、「主」の前では国王といえども平等とされ、国王自ら「ユダ教に改宗」すべきだと主張した。

ローマ帝国としては、不愉快だったはずだ。しかし、クリストス教の普及によりユダ教は縮小してしまった。

 だがユダ人は、商才などで目覚ましい発展性を秘めていた。科学技術の進歩においても、その貢献度は高い。

世界の資本・経済・政治・科学を脅かすだけの実力を誇っていた。ノーベル賞の受賞者も、二割はユダ人だ。

 クリストス教も簡単に、布教できたわけではない。初期の頃は、信者たちも大勢殺されていた。命を失ってでも布教活動に務めた。

六四年、ローマのロネ皇帝はクリストス教徒を迫害したが、それでも果敢にクリストスの信者たちは信仰を広めていった。

 七三年、「熱烈党」のユダ人九六0人が、ローマ帝国のフロス総督に反旗を翻して戦ったが、「アイヅ・マサダの砦」で自決した。

特に少年だけの戦闘集団、「白虎連隊」の自殺は印象に残った。自殺を嫌うユダ人でも、奴隷に服することを嫌って死を決意したようだ。

 けれども、七人の婦女子だけは、自殺を避けてローマ軍に投降した。彼女たちが生き残っていなければ、この事実は謎のままとして歴史に葬りさられていたかもしれない。

自刃することで「名誉」を守ることも大切だが、生き延びて後世にその史実を伝えることも、名誉なことなのだ。

 二五0年、デキ皇帝により、クリストス教徒の迫害が始まった。二八六年、アヌス皇帝によってローマ帝国は、東と西の二つに分裂してしまった。

三一三年、ローマ皇帝コンスタンスは、クリストス教徒の迫害を止めて「ミラノ勅令(議会によらず皇帝が出す命令)」を発した。クリストス教を公認したのだ。

 三九一年、テオド皇帝がクリストス教を国教と定め、その他の宗教や神々の礼拝を禁止した。

これによりクリストス教は世界中に広まった。反面ユダ人は世界中に散り、衰退の一途をたどることになった。