ジェネシス(創世記)

目では何もできないから、外出を許された。盲目の人が外出しても、家の壁に当たったり、人にぶつかったり、側溝に落ちたり、馬車の御者にどやされたりもした。次第にサムは、外出を嫌がるようになった。

「主」にも見放され、サムは人生におぼれた日々を送っていた。失明という機能障害、この逆境からどのようにして試練に立ち向かい、克服すればよいのであろうか。

「不幸せを治す薬は、望みしかない(シェークスピア)」

 サムが、刑務所の中庭の片隅で昼寝をしていた時だ。塀の格子戸を通して、一匹の子犬と出会った。「ピイチャン」と名付けた。

目が不自由でも、サムは子犬にエサを与えて飼い慣らした。看守から与えられたわずかな貴重なパンの一切れを、子犬に分け与えていた。週に一回の外出が認められ、サムは子犬との出会いを楽しみにしていた。

 ピイチャンは賢かった。サムが盲目であることを理解していた。サムの目となり足となり、身の回りを世話するようになっていた。

だれかに、しつけられたわけでもない。サムが教えたわけでもない。「盲導犬」として、サムを支えるのであった。

「光あれ。主は、そばにおられる(創世記)」

 サムは盲目でも、耳で声や音は聞こえる。人の心は読める。肌で風を感じられる。手で物をつかめる。背後の気配を察して、人の存在も確認できる。人の温もりも感じとれる。

 パレス人の看守の肩をもんであげると、不思議と喜ばれた。サムの怪力は意外なところで発揮された。マッサージの技術を独学で学び、パレス人の腰痛、椎間板ヘルニアまでをも治癒した。評判が評判を呼んだ。

サムは、パレス人にとって重要な療術師になってしまった。「主」から与えられた試練を乗り越えて、表舞台に帰り咲いたのだ。