泣いたら、泣くから。



 異常なまでの春乃の絶叫にまぶたを上げ――目を見開いた。


 わたしの目の前に両腕を広げて立ちはだかる姪の姿があったのだ。
 
 


 加速する兄の拳がわたし――姪めがけて一直線に飛んでくる。兄の顔には絶望の色が浮かんでいた。


 姪まで何秒もない。
 もう間に合わないとその場にいた誰しもが思った。
 反射的に目を閉じた。

 そのとき。





 ――――――ガッと、なにかがぶつかる音が弾けた。






 しかし、そのあとに聞こえるはずの落下音が聞こえてこなかった。
 殴られた姪が吹き飛んで廊下に叩きつけられる痛々しい音が――。


 前に人がいる気配を感じて恐る恐る目を開けた。
 
 視界に映る一人の髪型をわたしは知っている。
 これは、姪のものだ。
 上から見下ろしたときに映る姪の頭髪に間違いなかった。


 そのまままぶたを上げ続け、何事が起きたのかを見――



「……い、一花ちゃん」



 腹の底から安堵の息を漏らした。


 わたしを庇った体勢のまま姪は立ち、その体には何者も触れていなかった。

 
 そのかわり、
 白衣の袖から伸びる骨張った手が兄の拳を受け止めているのが見えた。


 知らない顔だった。
 この病院の医師なのだろう。「――……お父さん、暴力はやめてください」


「怪我はないかな、一花ちゃん」
「……」
「そう。それならよかった」


 無言で頷く姪の頭をぽんぽんと軽く叩いて医師は姿勢を正した。40そこそこくらいの白髪交じりの男だった。


「間に合ってよかった」