何やら隣が騒々しいと思っていたら、源二と、その女房が駆け込んできた。大きな観たことのない虫が居るというので中を覗いたら、何てことはない、蠍である。しかも、その『名』も思い出せそうだった。
「マダラサソリ…」
「あいつが蠍ですかい」生息地も知っていたように思う。南国だ。そう九州より、ずっと南…だから
「琉球の辺りに棲んでいる」
「そう言やぁ、半月ほど前、薩摩の船が荷崩れで、材木とか打ち上げられ、女房が湯屋の手代に雇われ薪拾いに浜に行って、駄賃の他、小さな木っ端など持ち帰った」
「遠来の客」無一郎は、まるで自分自身と同じような境遇に感じた。
「尾っぽ振り翳して、けんか腰じゃ御座んせんか…海老のようで居て、尾が反り返って、たいそうな威張りようでぇ」
「あの尾の先に針が有って、毒が有るぜ」
「ひぇ~」
「さほど強い毒じゃないが」
「かかぁも、あっしも、虫は、からきしなんで」


 可哀相に…番の片割れと出会せるのなら、まだしも…こんな所に居たって、せいぜい百舌鳥に啄まれるくらいだろう。あわれな蠍の「始末を」頼まれ、無益な殺生だと思いながらも小刀で真っ二つに切った。それを源二の女房が、小枝を箸にして摘み、竈に叩き込んだ。これで火葬が終わった。無一郎が合掌していたので、一同、呆気に捕らわれて彼を眺めている。


「虫は、どうして虫と呼ぶか知っているかな?」
「ネズ公じゃねぇから知りませんぜ、チュウの由来なんざぁ」
「葉っぱに付くからさ」
「葉に付くと、どうして虫なんで?」
「八八が六十四だから六と四で、ムシなのさ」
「マヤ仰っちゃ厭ですぜ」
「むかし聞いたんだ、儒学の大先生がね」
「マジですかい?」
「孟子で居られたそうな」
「喰っちまった」と、苦々しい顔。


 そこに立派な身なりの二十四、五歳の武士が来訪した。第一印象は、他人と思えない。引き寄せられる親近感が漂っていた。微笑を湛えている優しい表情と、柔和そうな人柄が相俟っているのだろう。そう…この顔に見覚えがある。そう感じ取ると、逆に緊張感が走って、咄嗟に最敬礼していた、どうしてなのか…理由は不明。だから、相手は戸惑い、さらに深く辞儀し返していた。