さて。松代はもう秋であった。
村人の多くが賦役にかり出されたこともあり、去年の凶作をはるかに越える凶作が藩を襲った。これは当然のことである。田畑を耕す一番の要である働き盛りの男と若者が、ほぼ毎日開墾作業という賦役にかり出されたのである。

しかも、それが日に1人、また1人と死んでいく。全体が重い空気をはらみ、未亡人や親のない子供が次々に出てきた。

村を歩けば、草木を食む子が見られ、川べりには水を飲んで飢えをしのぐ母親と赤子の姿があちこちに見られた。

常篤は、
(もはやここまで・・・)
と覚悟は決めていたが、それでも諏訪を切るには『ためらい』が残っていたのである。

常篤に引っ掛かっていたのは、諏訪の領内の平穏さと暮らし向きのよさであった。少なくとも諏訪を斬ればあの村の民は今の平和な暮らしを失うであろう。もしかすると、諏訪を恨む藩士や農民たちが諏訪の村で略奪や火付けを行って、大量虐殺が行われるかもしれない。