さて…紗枝がそういった境遇にあったころの仁左衛門常篤であるが、あれ以来ひたすら苦悩の日々が続いていた。
領民は日々貧しさがつのり、『口べらし』が始まっているとの噂も耳に入ってきた。老人自ら山へ命を絶ちに入る。産まれた子を間引く。そんな壮絶なまでの貧しさが、すぐそこに現出しつつある。常篤はそれを思うほど、自らの無力さを思い知らされる。

(今年の天候も去年と同じように雨が足りなければ、恐らくこの冬には大量の餓死者がでよう。)
常篤の財を売り払うことでかろうじて村民もこの冬は越えうるかもしれない。しかし、それも所詮はその場しのぎである。それに自分の領民数十人の命を救えたところで大半の松代藩の民は死んでいくに違いないのである。

明治維新と後に呼ばれる時代のうねりとともに、米を始めとする食糧は京や徳川、長州・薩摩藩などが大量にかき集めはじめていて、どこも品薄になってきている。自身の財産をすべて投じて金を作ったところで、それで乗り越えられるかと突き詰めれば、それも疑問である。
(このまま雨が降らなければかろうじて出来上がった少ない出来高のほぼすべてが年貢になる…。)
どうかんがえても出来不出来に関係なく一定の年貢をとりたてる制度自体に無理があるのだ。
(なんと無力な我が身の恨めしさよ。)
いっそ、この時代の流れに身を任せ、京や江戸に上って、自分の力を存分に試してみたい・・・逃避なのか、野心なのか、そんな底知れぬ気持ちに駆られたことも一度や二度ではなかったのである。攘夷だの倒幕だのと聞けば血が騒がぬわけがない。