刀身は柄の部分も入れると長さにして約1メートル二十センチ。当時の成人男性の平均身長が十センチ以上低かったと言われる江戸時代で、この刀身の長さはまさに大人の身長ほどもある稀にみる長剣であった。

(それで私は先代から受けた指南の意味が分かった。)
常篤は先代白桜の伝承者から受けた特殊な修行を思い出して納得した。なるほど、戦場で振るうには長すぎて不便である。馬上でも振り回して使えるような代物ではなく、長く戦場を駆け回る上では不向きであることは一目瞭然であった。
しかし、相手が剣や槍、飛び道具とどういった武器を持っているかわからない状況においては、一寸でも長い刀は有利である。それだけ早く的に届き、修行によってはより鋭く大きな遠心力を持って敵を一撃のもとに葬ることが可能である。

実際、常篤は身の丈と同じ長さの竹光での太刀捌きを何度も修練させられたものである。あの時は、このような長い棒切れを振り回すことに何の意味があるのか疑問に思ったが、確かにこれだけの長刀を扱うには、それ以上の長さと重量の刀を普通の刀と同様に振れるように慣れておく必要があったのだ。