頼重は、藩内の米を一旦藩で全部買い取り、適正価格にして領民に売り捌くという荒療治で、一気に藩内の財政を掌握した。もちろんこのような強引な手法が表の政(まつりごと)だけで成功するわけもなく、そこには数多くの『裏』の人間が介することとなったのである。これによって、改革による功罪が生まれた。賄賂が横行し、暴力や暗殺などの一方的な圧力や脅迫で藩政が強引に進められることもたびたびであった。

しかし、このことは江戸に詰めている藩主真田幸民の耳に正確に入ることはなく、ただ財政改革に成功の兆しあり、その功第一は頼重によるもの、とばかり知らされていたのである。生まれで出てより、ずっと江戸に『隔離状態』となって、藩政から切り離されていた名ばかりの藩主真田幸民には、その真偽を見定めることが出来なかったのである。