さて、その頃江戸にあった真田幸民は、というと、江戸の松代藩藩邸で暮らしていた。

最近は城代家老諏訪の藩政改革で、江戸屋敷の暮らし向きも随分と良くなってきた。
江戸では、ペリエなる夷敵の将軍なるものが横須賀に来ているとか、長州や薩摩が怪しく動き回っているとか、とにかく時代の波を感じる噂ばかりであった。

幸民も、
(ここで幕府につくか、尊皇襄夷側につくか…)
大いに迷うところであった。

そんな中、幸民にある情報が寄せられたのが、四月三日。
常篤が諏訪を斬る直前の日である。
『松代藩にて諏訪頼重を暗殺する動きあり』
との情報である。

情報元は江戸から四方に様々な情報網を張る、御庭番衆からであった。将軍家に打診したところ、藩主である幸民に知らせておけ、との直々の御言葉であった。