私怨をもって仇を斬り、それが運命という人知の及ばない何者かを切り裂く。
(愛する人を守れずして、明日の松代を救うことなどかなうはずがない。とにかく、私は諏訪を斬ることで運命の輪を切り裂く!)
その突破口を常篤の剣と命で斬り開く。そのあとをどう生きるかは、残された民の意思に委ねられるのだ。
そのまま死の螺旋に身を任せるか、新しい時代を作るために運命の輪から抜け出そうともがくのか。それは、どちらを選ぼうとも平坦な道にはなるまい。受動か能動か民衆がこれから背負っていく苦労と犠牲を思えば、それだけの違いなのかも知れない。しかし、常篤はその民の選択が能動であってくれる未来に血の橋を架けたいと思っていたのである。