そのうち、雪が溶け始める季節がやってきて、雪の下から少し気の早い草木の芽が顔を出しはじめていた。

ようやく、両親との生活に少しずつ慣れてきた紗枝であったが、
(私にとって、『縁(えにし)』とはなんであろうか。)
帰郷して以来、そのことばかりを考えてやまなかった。

人が人と出会い結ばれる。それを縁と呼ぶ。しかし、その縁とは常に人と人が別れる意味をも内包している。出会いがあれば、別れも必ず存在する。永遠の縁など存在しえないのだ。やっと結ばれたかに見える夫ですら、数年のうちに失ってしまった紗江にとって、それは儚いものとして映ったのである。

そして、その夫への思いに愛と呼ばれる概念が存在したか?そのことは今の紗枝にはまったくわからなかった。
しかしながらはっきりとしていることは、この時代に生きる女にとって、夫婦の契りをかわす相手との出会いが最大の『縁』だとするなら、紗枝は弱冠二十五歳にしてその縁から見放されたということだ。