現在の長野県の閑散とした山村に、今も残る小さな墓標がある。
その墓標にはその下に眠る主の名はなく、ただ
『信以国宝成其以国永』
とある。

平成の今もその墓には野の花が添えられ、ひっそりとその姿を残すのみである。いまも訪れる人たちによって小綺麗に手入れされたその墓標は、その主(あるじ)の人柄をしのばせる。

江戸時代末期。
時代が維新へと大きく揺れ動く中、その当時『信濃・甲斐』とよばれたその場所で歴史としては小さく、しかしその村の人々の心に永遠に語り継がれる人物がいた。

武田常篤・・・彼こそがこの物語の主人公でもあり、その時代に生き、この時代にひっそりと散った人物である。

さらに、この墓標の裏側・・・誰も『そこ』と気付かぬところに、小さな尼僧の墓もあった。
ひっそりと、誰にも気付かれず、しかし、寄り添うようにその墓はあった。

当時、『日本』に『愛』の概念は無かった。
そこにあったのは『情』であり『絆』であった。

しかし、それは『定義』として存在しなかっただけであって、もちろん、『愛』と呼ぶのにふさわしい『縁~えにし~』は確かに『そこ』に存在した。