「畜生っ!ふざけやがって!!」

職場からの自転車での帰路の途中、信号待ちの間に竹田は宙に向って小さな声で悪態をついた。

今日は上司から些細なミスをネチネチと責められたおかげで、帰宅する時間の予定が大幅に狂ってしまっていた。腕時計に目を遣ると、針は既に23時を回ろうとしている。

――あの野郎、いつか罰が当たれば良いのに!
今度は心の中でそう毒づいた。竹田が真下課長に責められるのは毎度の事だった。大人しい性格で余り文句を言わない竹田は、陰険な課長にとって格好のターゲットなのだ。

ただ、ミスをしてるのは事実だし、実の所は課長に対する憎しみよりもそういう自分の事を情けなく思う気持ちの方が強かった。

――しかし俺の人生、楽しい事って何一つ無いよな。
次の信号待ちの時には、自嘲気味に心の中でそう呟いていた。

勿論、本当に何も楽しい事が無かった訳では無いのは自分でも分かっている。
友人たちと夜を徹して遊び倒した事や、教授に論文を評価されて誇らしく感じた事はよく覚えている。今の生活だって決して楽では無いが、特段に苦しいという訳でも無い。
きっと自分より不幸な人生を送っている人間は星の数程居るに違いない。それでも、きっとそれ以上に多く存在しているであろう≪普通の幸せ≫を自分は得る事が出来ていない、竹田は常にそう考えていた。

そうこうしている内に、自宅のワンルームマンションの前まで来ていた。
駐輪場に自転車を停めた後、新聞を取り出そうとエントランスの郵便受けの扉を開けた。

――んっ?
ふと新聞の奥に白い封筒が置いてあるのに気が付いた。手に取って見ると、宛名の部分には【平井 良太様】と記入してある。差出人の名前は無い。

竹田は、『ああ、またか』と思いながら新聞と一緒に封筒を脇に抱えてエレベーターに乗り込むと、空いている手で5Fのボタンを押した。

まれにではあるが、自分宛てでは無い郵便物が届く事はある。住所はあっているので、大方前の住人宛ての物だろうと解釈していた。ただ、今回の名前はいつも見る名前と異なっていたし、普段は大概DMの類なのでその点が少し気にはなった。