歪みはじめた地平線と 輪郭のない情熱が この手に掴むはずの光 結びはじめた 
歌詞の意味はよく分からす、サウンドもクリアに聞こえなかったが、私の体調にフィットしたのか、私自身が共振したのか、IN-HIはどんどんどんどん私の中に入ってきた。浜崎以外あんまり、夢中になるモノがなかった私はなんとなくIN-HIを気に入り、IN-HIを聞くのがいつしか習慣となり、結果的にIN-HIの虜になってしまった。
HPを調べ、CDをすべて購入し、HPの掲示板、ダイヤリーを毎日すべて読んだ。沖縄に住んでいるとばかり思っていたメンバーは高円寺や国分寺、梅ヶ丘に住んでいた。私のなじみの深い場所ばかりであった。しかし、ライブハウスに行く勇気はなかった。IN-HIというバンドにはまっていることも浜崎同様、秘密にしている。ジャニーズ好き同様、ルックスに惹かれている色気づいたおばはんと思われたくないからだ。
食事や睡眠という人間の生活に欠かせないことしか楽しみのなかった、私にも密かで最大の楽しみができた。インハイHPのシモゼット日記だ。これは、アーティストが夢を語り輝かしい日常を綴ったモノではない。読めば分かるが、私にはまったく創造もできないような言葉で想像もできないような視点から攻撃してくるのだ。ぐさぐさくる。感情のない笑顔が張り付いた私には厳しい言葉もある。でも、愛に満ちあふれ
この人は、人生のほとんどが負けゲームだといっている。サッカー選手になるという夢が破れ、勝ち組サラリーマンのレールにも乗れず、音楽も思うようにいかないと嘆いている。でも、負けゲームを重ねる上で、いくつかの勝ちを攫いそこに希望を見いだし明日への活力にしているようだ。自己評価が低いのだ。私から見れば、私のようなしがない看護婦の慰めとなり、楽しみになってくれているだけで偉大で星の数ほどいる音楽家の中でシリウスのように光り輝いているのに、自分たちでは6等星以下な光が地球に届いているか心配するように、あなたに届いているのか心配なんだ。などと言っている。
毎日、更新しているかと思えば、突然更新しない日々もくる。パソコンやブログというのは、まったく関わり合いのない人間を身近に感じさせる。私は毎日ブログを読むことで、本当に慰められるし笑う。し、シモゼットと繋がっている気になれる。シモゼットのおっきな愛に包まれていると感じる。