そんな幸せな高校も終わりが近づくと受験一色になる。
絶対に受からないといけない理由があった。
家が大変な時期だった。長崎の、父がたの祖母の認知症がすすんで、ついに誰が誰かわからなくなってきていたのだ。「どちらさま?」といわれて帰ってきた父。父にとっては最後の親で、相当落ち込んでいるのがわかった。私も相当なおばあちゃんっこだっただけに辛くてしょうがなかった。「とりあえず受験が終わってからにしなさい。」会いたいというとこの一点張り。おばあちゃんに会いたい。受験なんか通過点に過ぎない。さっさと終わらせたい。
毎週頻度で父と母が交代で長崎に通い、両親にはそのストレスもあったのだろう。母は更年期。毎日怒鳴りあい、掃除機が飛んできたりなんかそういえば大変だった。私はなだめるのに必死で、たぶん反抗期だったんだけど、している場合ではなかった。
わたしが卒業したら、父さんと母さんは、離婚するらしい。毎日喧嘩していて、毎日の様に母が泣いているのを見て、悩みと愚痴を聞いていた。母は社会に出ていなかった。「あんたは勉強しなさい。女は社会では弱い。勉強しないとお母さんみたいに、逃げられなくなるの。」そう聞かされていた。

 国立大いって、バイトして私がお母さん養おう。学費とバイト代の相場調べまくったら、学費の安い国立大でないとそれは無理だと知った。私が受験という大事な時期だから今はまだわかれないということだった。私はとんだお荷物だった。私がいるからわかれられないし、いまさら高校を変えられないという理由で、祖母のいる長崎に移動することも出来なかった。本当は父はずっと祖母のそばにいたいだろうに。だから受からなきゃ。勉強しなきゃ。受かると同時に家族がばらばらになるとわかっている。
なんだか複雑でもあったけど。