高校。少し家から遠くなって、環境ががらりと変わった。楽しくてしょうがなかった。
入学した日に職員室に呼び出された。テンション高すぎたことと、スカートだのメイクだの、よくある風紀が乱れていたことでの呼び出し。すごい剣幕で怒っている。ふと見ると他のクラスでも茶髪の新入生がひとり呼び出されている・・・って中学からの親友かーい。そんなスタート。
入学してすぐの合宿でアイラインを見破られて正座で二時間説教受けるわ、入学して一番初めのテストはワースト10位内だわ、近いからという簡単な理由で選んだ高校が、なんと進学校らしいと入学してから知った。ここで私は人の倍やらないと、皆には追いつけないと思ったし、現にそうだった。授業ではネタばかり言ったり、七夕で学校の竹勝手に切ってきたり、屋根に上ったのを見つかったりしては怒られて。皆は笑ってくれた。それでよかった。

●親友たち
高校は私にとってはオアシスだったのだ。怯えなくていい、恐れなくていい、冗談言っていい、笑いたいときに笑っていい。家で親の喧嘩をなだめ、学校で全て発散していた。よく泣きながら登校した。でも学校に近づいたら笑顔に変わるんだ。皆によく言われた。「悩みなさそうだよね」「何でいつも笑っていられるの??」嫌いな人、怖いもの、嫌なこと・・・あるわけがなかった。父の怒鳴り声、母の泣き顔、悩みを聞く日々。一歩外に出れば天国があったんだから。

●行事馬鹿
ヤンキーに勇気をもらって、中学は生徒会に入った。西日本の生徒会はまじめ、天才がやるって言うより、いきがってるやつがやりたがる。極端に言うと、生徒会長なんて、話がうけるかどうかが合格ライン。うちらも、まさにそうだった。好きなことばっかりやってみた。文化祭は体育館で鳥飛ばしてみたり、室内で火燃え移っていかせてみたり。生徒会で遅くなる分には父も怒らなかった。「生徒会という肩書きなら何やってもいいんだ」磯野かつお的な学習をした。新しい線引きができた。
そうして迎えた高校だったから、私にはすっかり行事馬鹿の称号がついた。
予餞会では賛美歌のリードボーカル、クラスマッチではバスケのセンターサークルでコント、体育祭では袴とか着て応援団、とりあえず目立てればよかった。埋もれていた小学校時代、取替えしたかった。100パーセントの自分を知ってほしくて。