ある日から、姉がいなくなった。
京都に住むんだとか。母が泣いていて直感で何かを感じた。
お姉ちゃんに「次いつあえる?」と聞いたら「わからない」といった。聞かされていなかったが、姉は、勘当された。

 こんなふうに父は、親友だろうが親戚だろうが、縁を簡単に切ることが出来る人だった。私もいつしか、それが当たり前に思えてきた。
 ある日から、複雑な感情を足の弱い子にぶつけるようになった。いじめたのだ。仲のいい子だった。今でも、私を怯えた表情で見るように変わったあの目を思い出す。友達だったはずなのに、自分から崩した。このことは、何より辛かった。家では自分を責めて泣いて謝って。学校でまたその子をいじめてしまう。わけがわからなくなった。

苦しさからの逃げ道を見つけた。人間と真剣に向き合うのをやめたのだ。なんでもそう、真剣にするからこそ、裏切られると苦しいんだと。すると急に、楽になった。親が喧嘩していても別の人間だと思うと、平気なんだ。両親の喧嘩に泣きながら仲裁に入るなんて疲れることはもうしない。テレビをつけてわざと大きい声で笑うようになった。
 
 どうせ人はうわべの付き合い。人間は裏切りあい。まず、疑え。どうせ皆偽りなんだから、偽りを生きればいい。顔色を伺うより、はじめから当たり障りの無い「いいこ」を演じればいいんだ。すっかり人を、信じなくなった。感情が、消えた。

それから小5にして、精神薬を処方されるはめになった。好奇心旺盛の明るいYはもうそこには、いなかった。学芸会、木琴をひいたし、大太鼓だって演奏してきた。でもその他大勢のハーモニカを吹くほうが楽になったんだもの。打ち込むなんて、バカだ。

初めて地図帳を開いた。4歳の頃、死ぬまでに地球上の人全員に会う計画をたてたのを思い出した。自分は九州というところにいる。本州があって、しかもそこに東京、中心があると知った。バカだなぁ。地図を閉じ、昔の自分を笑った。逃げ出すなんて不可能だと思っていたから。窮屈な毎日の中で、本当の自分を出せる世界なんて。