内申がまあまああったから推薦はまだ可能性あった。このチャンスを筑波大に使うことになった。0か100だった。死に物狂いで勉強。担任も必死だった。学校に残って先生もつきっきりで、深夜二時まで先生と学校に残ったこともあった。
「勝ちに行ってきます」推薦本番で初めて茨城にいった。
・・・で結果は。

「落ちた」学校の帰り、電話したら母が出たからそれだけ言って切った。失敗した。でもなぜか辛くなかった。
この失敗は自分が決めたことの「結果」だった。人から言われたことではない。紛れも無く自分の。このとき間違いなく、私は存在したのだ!!そしてある決意が芽生えていた。

「お願いします!もし、センター試験の結果がよければ、
筑波大学を受けさせてください!!」
土下座した。顔を見るのが怖くて、頭をつけたまま、顔を上げられなかった。
「いいたいのはそれだけなのか。
・・・本気なら、センターがどうであろうと好きにしなさい」

そう言って父はたった。信じられなかった。私は頭を上げられないままでいた。泣き顔を見られたくなかったからだ。この日から私は死ぬほど勉強した。センターまであと、1ヶ月だった。
2時起床、眠いから目覚めに水をかぶる。英語単語見ながらご飯食べて英文暗記しながら登校。休み時間に数学応用問題。学校を終えて学校の学習室で学校しまるまで勉強、先生に質問攻め。近所の福祉センターで閉館まで勉強。風呂でも勉強、家では早く寝ろと怒られるので23時には寝た振りして、懐中電灯で社会の暗記、24時にこっそり起きて勉強、2時就寝・・・を毎日続けたら熱が出た。冷えぴたしーと張りながら頭痛薬飲みながら学校行った。先生や友達に後で聞いたが殺気立っていて近寄りがたかったらしい。