●いよいよ受験勉強
で、偏差値が30落ちた。英語なんて偏差値38。国語で20点取って追試受けていたとき、さすがに親に結果を見せられなくて、「先生が入院して今度のテストなくなった」とかわけがわからないこといっていた。のびた君の気持ちがわかった。でも、ドラえもんがいない時点でのびた以下。

「Y。このままだと行く大学が無いぞ。」ずーーーーーーーーーーーん。どうしよう。実はまだ大学を決めていなかった。取り寄せたパンフレットももう20部くらいになっていた。

看護科に行きたいというのは高校受験期、盲腸で入院した時から変わっていない。受験勉強をナースステーションでさせてくれたり、差し入れくれたり。夫婦喧嘩も聞かなくてよい。ここはパラダイスだ!!退院のとき、ナースステーションで叫んだのを覚えている。「私、看護師になります!!」私は大変失礼ながら、看護師を医者の補佐だと思っていた。しかし、看護する人によって、患者の今後は左右される世界。すばらしくやりがいのある仕事と初めてしって、心底、ほれたのだった。だが、大学がなかなか決まらない。大阪行くといってみたり、福島いくといってみたり。
そして、筑波大学に決めたのだった。やりたいことや会いたい教授がここにいた。ここだ。ここにしよう。・・・親、大反対。そりゃそうだ。じつは九州から出るなって反対されていた。でも時間がなかった。推薦の申し込みが明後日とか。そのことをさらに怒らせた。

親にはN大学という勧めるところがあったのだから。
推薦で落ちたらN大学にします。やるだけやらせてください。
で、両者落ち着いた。今まで親に口答えしたことがなかった、初めて父と喧嘩した。初めて本音をいった。始めて近づいた気がした。するとわかってくれたのだ。もっと早く、本音をぶつけていればよかったとさえ思った。