「行くのか?」


自分が持っている中で一番大きなバッグに、最低限の身の回りのモノを詰めて肩に掛けた。



明け方の薄暗い玄関で靴を履いていた背中に、思いがけず声がかけられた。



ゆっくりと振り返った先には、


「……行くよ」


いつもの笑顔で答えた自分を、黙って見つめる弟の姿があった。



「……わかった」



ただ小さく呟いた響生の表情は、どこか寂しそうに見える。


母親の澪生が亡くなって一年。

澪生の存在一つで繋がっていた自分たち家族は今や、ただ同じ家に住むだけの人間にしか思えなかった。

ただでさえ窮屈だった家は、ますます居心地が悪い。
だから、ここを出ることを決意したのだ。


「嫌か?」



この質問は自分でも意地悪だと思った。



自分を跡取りとして育てたがる父親を疎ましく思ってきた自分と違い、十歳年下の弟は父親や母親にの言うコトを素直に聞く従順な子どもだ。


そして、父親に反発する自分を誰よりも理解してくれる不思議な存在だった。




「嫌だけど……澪路が望んでるなら」



こう言って薄く笑った響生に、澪路はくしゃっと頭を撫で、玄関を跡にした。