そして2005年8月、スーツケースにパソコンの入ったリュック、斜めがけバッグ、更に息子の手を引いて私は関西空港に向かっていた。再び上海の地を踏むために。
 当時の心境は期待と不安が入り混じり複雑だった。家を出てからドキドキがずっと止まらない。これ以上自分を不安にさせないためにも、初めての上海の苦い経験は、思い出さないよう努めた。
 上海に向かう飛行機の中で、私の脳裏にいろんなことが浮かんでいた。レスリー・チャンの死、姑の看護、愛犬の突然の死、順調にいかない留学の準備、別居、父の入院、そして一週間前に成立した離婚。悪いことが起きるたびに、私は中国留学への意志を強めていった。っと、離婚は私にとっていいことだったけど。