文字を追っている間に、演奏が始まった。
モーツァルトのあまりに有名なピアノソナタ。若葉の下を木漏れ日を受けながらジョギングしていくような、清々しく軽やかな音楽。ホールは残響が豊かなのが、むしろ悔やまれるようだ。若葉の枝には鳥が止まり、足元には清流がある。そこに吹く風のにおいも感じるような1楽章。風に潤いが含まれて始まった2楽章。圭太郎君の右手がよく歌う。よく歌うけれど、どこか軽みもあって、もたつくことなく進んでいく。
ステージ全体を固定で撮っていた映像が、2楽章の途中まできて圭太郎君の横顔を大きく映した。
笑っている。
ピアノを弾くことが、ピアニストでいることが、楽しくて楽しくて、たまらない。そんな顔をしている。
「あなたは、圭太郎の可能性を潰す足枷」
玲依子さんの言葉が背筋を走った。
圭太郎君の演奏は、賑やかに3楽章を突き進む。スピード感があるのに、明確に鮮やかな色彩を見せていく。
「早紀、俺に弾く理由をくれないか」
昨晩の圭太郎君の言葉も蘇る。
「早紀がいるからピアノを弾くんだって、そう言わせてくれないか」
圭太郎君という大きな光が、わたしに注がれようとしている。明るく、温かいその光を浴びれば、わたし自身が光になったかのように感じるだろう。



