「帰るよ」
 そう言うと、電話の向こうで早紀が目を丸くしているのがわかる。
「明日の、夕方に着く。まず、先生のお見舞いに行くよ。先生に会いたがってる人を連れていくから」
「酒井君、ごめん明日はどうしても夜まで仕事があって……」
「迎えはいいよ。あの約束も、返答保留。先生の病院のことを教えて」
 面会終了が夜なので安堵する。空港から電車で移動しても時間は余裕だ。いや、ドゥメールや圭太郎には不十分だろうか。

「酒井君は、家に帰るんだよね」
「早紀のところに行くのは邪魔かな?」
「そんなことない。会えるのかな、と思ったから」
「当たり前だよ。僕は早紀に会いに帰るんだから」
 頬が緩む。気持ちが逸る。早く会いたい。

 オフィスに戻った僕らは、上司に日本に行くことを告げた。急な出立に上司や同僚は呆れていたが、ニーナが説いて納得させた。到着した次の日には戻りの便に乗るという強行スケジュールだ。
 僕の手元のメモをニーナが覗き込んでいる。タブレットを操作して、席を離れ、ハイヒールの音を立てて戻ってきた。プリントアウトしてあるのは日本で泊まるホテルを予約したというもので、住所を見ると、病院と空港どちらのアクセスも便利な場所だ。
 シングル三部屋。ドゥメール、圭太郎(先生の家には行かないという)、それから、「僕?」と自分を指して聞いてみた。が、ニーナは「Nein」と答える。
「Sie?」
「Ja!」
 大きな口の口角をきゅっと上げて笑う。
「まだ録っていないもの。ここでピアニストに逃げられたら終わりよ」

「ナオ、ニーナと日本に行くのかよ」と僕たちのやり取りを見ていたフォルカーが大声で言う。「土産はシュリケンだぞ」とも。