パリ・ローマ幻想紀行

「悲劇の王妃、マリー・アントワネットについて、少しお話しておきましょう。マリー・アントワネットは、ルイ十四世が儀式化した、王の日課には飽き飽きしていました。そこから逃れるために、マリー・アントワネットは人工の村を造ったのでございます。酪農場、水車小屋、納屋、二階建ての王妃の館などを作ったのです。そして、花を摘み、馬に乗り、池で釣りをし、乳を搾ってバターを作る農民を見て楽しんだのです。当時パリでは、急騰した小麦価格に対して、その不満が爆発寸前でした。この村を造った八年後にルイ十六世の未亡人となったマリー・アントワネットは、革命裁判で、村に要した莫大な費用を追及されることになるのです。パリ市民はオーストリアから輿入れしてきた、苦労しらずの気まぐれ女に、嫉妬と憎悪の念を抱くようになりました。更に、ルイ十六世の無能な浮ついた言動に、ふしだらな女として、知れ渡ることになるのでございます。そして、決定的なのは、首飾り事件です。ヴァロア家の血を引くラ・モット夫人が王妃の名のもとに、ロアン大司教から、百六十万ルーブル相当の首飾りを搾取したのです。これで王妃は浪費のシンボルに祭り上げられました。パリにはパンがないのに、ヴェルサイユでは、小麦を大量に溜め込んでいる。あの女の首を掻き切る時が来たと、パリ市民は叫びました。そして、マリー・アントワネットはついに、タンブル塔への霊閉、ラ・コンシェルジュリの独房、革命裁判、そしてギロチンにかけられたのです」バスは、並木道を通り、ヴェルサイユ宮殿の正門の前に停車した。