(8)ポンペイ
六月十七日の朝は、四時起きであった。通勤ラッシュを避けるためである。バスはローマ市内を抜け、一路ポンペイへと高速道路を快適に走った。今日も快晴であった。高速道路の両側に広がる景色には、別段歴史上のものはない。早朝の起床も手伝ってか、車内は極めて静かである。
カメラマンとしての私にとっては、この旅行のストーリとして、この間の空白を作るわけには行かない。ビデオカメラを手にして、車窓の両側に広がる田園風景を眺めていた。初めて見るイタリアの田園風景である。そそり立つような山はなく、なだらかな丘陵が目に付く。その丘陵の所々には、疎らに人家が見える。私はこの田園の中で生活している人息を探ったが、人影は見えなかった。所々に放牧されている数頭の牛がのんびりとして動かず、牧草を丸い円筒状に丸めた束が、丘陵の傾斜に静止している。人影は見えないが、人の息吹を感じる。ゆったりとした長閑けさである。バスはやがて、町の中へと入ってきた。ガイドさんが突然目を醒めさせた。
「皆さん、前方左側を見てください。あれがレスビオ火山です。紀元七十九年八月二十四日正午を少し過ぎたころ、突然に大爆発を起こしたのです。若きブリニオはその様子を記録として、このように残しております。《天高く噴き上がる火柱の上に、黒々としたきのこ雲が天を覆い、太陽は暗く覆い隠され、白熱した火山れきが、ポンペイの町に降り注ぐ。屋根は落ち、壁は崩れ、逃げ惑う人々の上には、水分を含んだ火山灰が情け容赦なく覆い被さる。更に地震、津波が追い討ちをかけ、からくも、隣町のスタビアやノチェラに辿り着いた人も、毒ガスによって命をたたれる》この惨事は三日も続き、生命の息吹は六メートルの灰の中に埋もれたのです」
六月十七日の朝は、四時起きであった。通勤ラッシュを避けるためである。バスはローマ市内を抜け、一路ポンペイへと高速道路を快適に走った。今日も快晴であった。高速道路の両側に広がる景色には、別段歴史上のものはない。早朝の起床も手伝ってか、車内は極めて静かである。
カメラマンとしての私にとっては、この旅行のストーリとして、この間の空白を作るわけには行かない。ビデオカメラを手にして、車窓の両側に広がる田園風景を眺めていた。初めて見るイタリアの田園風景である。そそり立つような山はなく、なだらかな丘陵が目に付く。その丘陵の所々には、疎らに人家が見える。私はこの田園の中で生活している人息を探ったが、人影は見えなかった。所々に放牧されている数頭の牛がのんびりとして動かず、牧草を丸い円筒状に丸めた束が、丘陵の傾斜に静止している。人影は見えないが、人の息吹を感じる。ゆったりとした長閑けさである。バスはやがて、町の中へと入ってきた。ガイドさんが突然目を醒めさせた。
「皆さん、前方左側を見てください。あれがレスビオ火山です。紀元七十九年八月二十四日正午を少し過ぎたころ、突然に大爆発を起こしたのです。若きブリニオはその様子を記録として、このように残しております。《天高く噴き上がる火柱の上に、黒々としたきのこ雲が天を覆い、太陽は暗く覆い隠され、白熱した火山れきが、ポンペイの町に降り注ぐ。屋根は落ち、壁は崩れ、逃げ惑う人々の上には、水分を含んだ火山灰が情け容赦なく覆い被さる。更に地震、津波が追い討ちをかけ、からくも、隣町のスタビアやノチェラに辿り着いた人も、毒ガスによって命をたたれる》この惨事は三日も続き、生命の息吹は六メートルの灰の中に埋もれたのです」



