パリ・ローマ幻想紀行

「彼には、私の絵の中に静寂を感じたのは確かじゃ。だけど見ることはできなかった。彼自身、静寂を体感しなければのぉ。体感は教えることもできぬし、見せることもできぬのじゃ。イエスと同じじゃよ。彼に私の絵を見せたのは、罪だったかも知れぬのぉ」
「彼を見捨てるということですか?」
「見捨てるのではない。体感するのは自分自身なのじゃ。救われるにはのぉ。他人はどうすることもできぬのじゃ。ただ、私が絵を通して、静寂を見せるだけじゃ。イエスが対話するようにのぉ。私の静寂が見えない人も大勢居るけどのぉ、どうすることもできぬのじゃ。ゴミ箱に棄てられてもそれでよいのじゃよ」
「あなたの絵にも、ゴッホの絵にも、意識的な創作は感じられません」
「そのように見えるか」
「自分自身を描いているからですね。ゴッホは葛藤している自分を描いています。あなたは静寂の景色を見ているあなた自身を描いています。葛藤を想像したり、静寂を想像して描いていないからですね。イエスのことばにも創作がないように」
「その通りじゃよ」
「ミレーにも創作の意識は感じられません。ドガも同じです。ダビンチには創作の意識が感じられます。モネの青い睡蓮には、あなたの絵と同じ静寂が見えます。ルドンの絵には創作の意識が感じられます。セザンヌも同じです」
「そうか」