パリ・ローマ幻想紀行

「あなたは、この静寂の世界を人に伝えたかったのですか?」
「そうなのじゃよ」
「イエスの静寂の世界を見たのですか」
「そうじゃ、見たのじゃ」
「イエスはことば、ミケランジェロは彫刻、そしてあなたは絵でもって、あなたはあなた自身を現したのですね」
「その通りじゃ」
「イエスやミケランジェロとは表現形式は違いますが、静寂に収斂しています。これをあなたが総合主義といわれていることも解ります。絵はことばも彫刻も包含し、ことばは絵も彫刻も包含し、彫刻はことばも絵も包含しているということですか?」
「そうだ、その通りじゃ、そしてのぉ、静寂は全ての世界を包含するのじゃよ」
「あなたは最初、この静寂の世界を人の目で表現しようとしたのですか?『食事』もそうです。『タヒチの女達』もそうです。『ブルターニュの農夫達』もそうです。タヒチの人は素朴で、無口で、何かを思い詰めた眼差しをしております。そこには静けさはありますが、静寂はありません。この『白い馬』にはそのような視線はありません。ダビンチのモナリザも、視線で表現しようとしています。ダビンチ自身、モナリザは未完成だといっております。視線でもって静寂を表現することはできなかったのですね。ミケランジェロの嘆きのマリアにも、視線はありません。私はそのように思います。日本の仏像は半眼であり、ラオコーンは半眼ではないが視線を感じません」
「この絵はどのように見えるのじゃ」