パリ・ローマ幻想紀行
1・旅行前
 私達夫婦は、結婚して二十三年になる。二人は、未だに名前で呼び合っている。私は仁さんと呼ばれ、妻のことを伊沙子さんと呼んでいる。しかも、『さん』付けである。世間では、バランスのとれた夫婦のように写っているようだ。伊沙子さんは四度目の海外旅行であるが、仕事一途の私は、はじめてであった。従兄弟夫婦に誘われたこともあって、二人揃っての海外旅行は珍しい出来事である。伊沙子さんも、パリ、ローマへの旅は始めてであった。本来なら、旅行案内書を、伊沙子さん自ら吟味する所であるが、伊沙子さんは仕事の都合で、書店に行く暇が無いという。わざとらしい尤もな理由だ。謀略的な臭いはするが、私は伊沙子さんの細かな指図を背負って、書店に出向いたのである。
書店には、これぞとばかりに色々な旅行案内の本が並べてあった。どれを選んでいいのか判らないほどである。幾ら私とて、これぐらいのことは予想していた。私は、布石を打った。そこで、旅行馴れした友人に同伴してもらって、旅行案内書を選んでもらうことにしたのである。《何よ、この案内書、私の思っているのと違うわね》《これは旅行馴れしている彼に選んでもらったんだよ》とね。