昼前にラブホテルの受付の老女からの鳴り止まぬ電話で目が覚めた。

死ねなかった。あまりに下らない死の真似事だった。

頭がくらくらして中々立てなかった。

僕は何をしているんだ。

僕は疲れ過ぎているんだ。

僕には休息と気分転換が必要なんだ。

この喧騒(けんそう)と愛欲と虚無の街を抜け出して、旅に出よう。

生命と光溢(あ)れる南へ行こう。

僕を蝕み、僕の中に深々と降り積もった凍てついた死の雪が、少しは溶けるかもしれない。

石垣島の空は、その日、どこまでもどこまでも明るく晴れわたり、

椰子(やし)がそこかしこにそびえていた。

僕が宿泊したホテルの9階の部屋のまさしく眼前に、

竹富島や小浜島など八重山の壮大なパノラマが広がっていた。

マリンスポーツや観光を楽しみに来た人々がベランダから見て取れた。

大海の一滴一滴がまばゆく輝き、

幾千万億の光の小さな粒が湧いてきらきらと散乱していた。

その銀と青の光彩は、血管の隅々までしみ通ってくるのではないかと感じられるほど力強く、温かく、

外界のとてつもない広がりが、身にひしひしと迫ってくるようであった。

運命を見つめていると、

自然の美しさが、人間の機微が、心に深く染み入ってくる。

いびつに研ぎ澄まされた僕の自我が、

八重山諸島の雄大で懐(ふところ)深い大自然の前に開かれ、

生命の歪(ゆが)みが円満に矯正(きょせい)され、

蘇生したかのような、何ともいえぬ感慨を覚えた。

こうして、自然の中に身を一人おくことで、

僕は久々に自然や人々の営みとの一体感を満喫(まんきつ)した。

自分の呪われた血も過去の蹉跌(さてつ)もどうでもよかった。

この晴れ晴れとした八重山の空と海を自分の生命に刻み込み、

いつも澄んだ青空のような気持ちで生きていけたらどんなに幸福だろうか。