Security Abyss 1

男が思いのほか大人しいので、鞍玲もだんだんと余裕を取り戻してきた。コートでよくわからなかったが、この男、かなり線が細い体型をしている。

「名前は無い」
「はぁ?」

鞍玲は半分馬鹿にするように返した。瞬間、男の眼光が鋭く研がれ、鞍玲の背筋に悪寒が走る。危険を感じ、全身の筋肉がこわばる。

「名前は無いが、人にはAbyssと呼ばれる」
「アビス?」
「お前がさっき捨てた手紙の後ろに書いてあったはずだ。ただの印だが、人はそれを私の名前だと勘違いする。面倒だからそれで通しているが」
「で、じゃあ、Abyssさん、は、宗教の人?で、なんで私の」
「それは間違っている」

男は完全に話の先を読んで、形式張った話し方で続ける。

「なぜ一連の出来事の情報を私が知っているか、という問題は記号的に存在こそすれど、本質的には矛盾を抱えている。あえて言うならば、私が情報だからだ。もっとも、これで理解をした者など今までいないのだが」
「つまり、私が悪いってこと?」

男は一瞬驚き、そして何度かうなずいた。

「……なるほど。そう捉えるのが一番スマートかもしれない」

男は更にうなずき、鞍玲にぶつからんとする距離まで近づいて相対した。