唇を離すと、先生はゆっくりとわたしの手を取った。

「イヴ…さぁ、行こう。私と共に…」

黒のレインコートをわたしの肩にかけ、先生はわたしの手を引きながら体育倉庫のドアを開けた。

「陣野先生…!わたし…わたし、イヴじゃない!!」

「そう、君はまだ、イヴじゃない」

そう言ったのは、陣野先生ではなかった。

この声は………!?

誰もいないはずの体育館の向こう側のステージに座る人影。

人影はトンっとステージから身を躍らせると、ゆっくりとわたしたちに近づいてきた。

それは、少年のように瑞々しいのに、大人びた表情の穂高だった。

黒のパーカーのフードを被ったまま、今までのやり取りを全て見ていたかのような見透かした表情で、スニーカーをキュっと鳴らし、わたしたちの目の前で立ち止った。

近づいてきた彼と、30歳の先生が向かい合っても、堂々としたその姿は、先生に負けていなかった。

わたしは、さっきまでの恐怖と血の匂いに、体が竦んで、先生に握られた手も小刻みに震えていた。

穂高はそれを一瞬見やると、片目を細めて自分より少し背の高い先生を見上げた。

「『神音』を離してくれないか?震えている」

先生は、フっと冷たい笑みを漏らした。

「『イヴ』はまだ、私への愛を忘れているだけだ」

微笑んだその先で、先生はシャっと激しい音をたてて右手の手刀を突き上げた。

「穂高!!」

後ろに宙返りする穂高の体から、薔薇の甘い香りが降ってきた。

穂高の低く、でもよく通る声が、雨の降る音に折り重なって響き渡った。