異風人

やがて民の流れには、信号待ちの澱みができた。小柄な吉平は、その澱みの中に埋もれる。民の視線は、それとなく異様な光に集まっていた。山高帽子の力は確かに、小夜の言うとおりであると、吉平は密かに微笑んだのである。埋もれた吉平は、上目使いで庇の奥からチャンスを窺っていた。そして、吉平は、たまたま肩を並べた若い女性に笑顔を送ってみた。澱みの中で逃げ場のない若い女性は、やむなくそれに反応した。吉平は、今がチャンスと口を開けたのであるが、音声を発する前に信号が変わり、民の流れは動き出したのである。その様子を見ていた民は、振り向き、振り返り、次から次へと流れの中に消えていく。吉平は、そうした民の一つ一つに笑顔を振舞った。釣り損ねた魚の感はあるが、吉平は、確かな手応えを感じつつ、その日は帰宅したのである。
「小夜!」
「今日はいかがでした?」
「小夜の言うとおり、山高帽子の効果は、確かに大きいものがある」
「それはよろしかったですね」
「しかしだ、鏡面の水面までは、まだ程遠い」
「ご主人様の波紋の論理を達成するには、気長に、長い時間がかかると思います」
「小夜の言うとおりだ。そのことは今日、実感したところである」
「それはよかったですね。大きな収穫だと思います」
「小夜もそう思うか?」
「はい」
「山高帽子は、第一歩を踏み出す唯一の条件である」