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こんなふうに、
ほんとうに、
働きがほかと離れて自由になる、
ということが、
すり減った金貨を見ればわかるのだ。
そんな、
ほんとうにはその価値のないものが、
ずっと、
流れのなかにあり続けることで、
わかるのだ。
しかし、
それぞれの金貨が、
自由になるというわけではない。
ひとつひとつの金貨がコイン、
流す道具でいられるのは、
それが流れのなかにあるときだけだ。
しかし、
流れのなかにある「いつもこのくらいはある」だけの金については、
すり減ってもおかねになれる。
金貨は、
ひとつひとつにされているときには、
すり減ってしまうとおかねになることは、
できないのに。
そして、
お札ととりかえられる。
それだけの金は、
いつも、
流れのなかにあり続ける。
ずっと、
流す道具として、
働きつづける。
そして、
この、
流す道具の役目を、
引き受け続ける。
こんなふうに、
ほんとうに、
働きがほかと離れて自由になる、
ということが、
すり減った金貨を見ればわかるのだ。
そんな、
ほんとうにはその価値のないものが、
ずっと、
流れのなかにあり続けることで、
わかるのだ。
しかし、
それぞれの金貨が、
自由になるというわけではない。
ひとつひとつの金貨がコイン、
流す道具でいられるのは、
それが流れのなかにあるときだけだ。
しかし、
流れのなかにある「いつもこのくらいはある」だけの金については、
すり減ってもおかねになれる。
金貨は、
ひとつひとつにされているときには、
すり減ってしまうとおかねになることは、
できないのに。
そして、
お札ととりかえられる。
それだけの金は、
いつも、
流れのなかにあり続ける。
ずっと、
流す道具として、
働きつづける。
そして、
この、
流す道具の役目を、
引き受け続ける。


