この男、自らを天使であると信じて疑わない。何故か?白が似合うからである。天使である以上、純白の衣装を纏わなければならない。それも違和感なく、さらりと着こなさなければならないのだ。つまり、この『白が似合う』という要素は実はとても重要な事なのである。日常的に、全身を白でコーディネートしている奴を想像してみてほしい。「パーティーじゃねぇんだから。」おそらく誰もがそうツッコミたくなってしまうはずである。そこをいかに自然、且つ大胆に見せるか。これが天使の肝である。羽や輪っか以前に、まずこの要素を満たす事が天使としての第一条件なのである。
とはいえ、羽と輪っかは必要不可欠である。あらかじめ言っておくが、天使の代名詞でもあるそれらは『生まれながらにして備わっている物』ではない。あれは単なる『おしゃれ小物』だ。「単なる」と言ってしまうと語弊があるかもしれないが、中尾彬で言うところの『ねじねじ』と同じような物と考えて頂きたい。ただ、羽と輪っかに関しては『代々受け継がれていく物』という世襲的な要素が含まれるので、そこだけは混同しないようにしてほしい。
そう。ここだけの話、天使は世襲制なのである。と言っても、血の繋がりは全く関係ない。(つまり世襲制ではない。) 天使の定年である50歳を迎えた段階で、次なる後継者に羽と輪っかを授けるのだ。その時点で天使はようやくその役目を終え、普通のおっさんに戻るのである。だいたい48ぐらいになると、後継者探しの旅に出るのが通例で、選ばれた者は否応なく天使にさせられる。「やっている事はまるで悪魔だ…。」誰もが最初はそう思うのだが、いざ天使の衣装に着替え、鏡の前に立ってみると「悪くないね。」などという言葉が自然とこぼれてしまう。山寺健に至っては「空も~飛べ~るはず~♪」とか口ずさみながら、羽をパタパタさせていたという。要するに、常人ではないのだ。天使も厳選に厳選を重ね、自分と同じにおいのする者を選ぶのだから、だいたいうまくいく。至極当然と言えよう。
天使の世界にこんなことわざがある。
『同じ羽の内輪』
同類のピュアな奴。そんな意味合いで使われているらしい。


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