男は地面がぐらり揺れるような心地だった。もはや心はあの女に向けられているが、それが妹であったとは。それはもとより、あの女も時流の煽りをくらい、この先に見える栄華の道は暗く細いものに違いない。
ああ。男は切ない熱の込もった溜め息を一つついた。そして着ていた衣の裾を切り、乱れ模様のそれに歌を詠みつける。
春日野の若紫のすりごろも
しのぶの乱れかぎり知られず
――春日野の若紫のように匂やかに美しい貴女を見て、私のこころは人知れず、この信夫摺りの模様のように乱れています。
ずいぶんと大人びてはいませんか、従者が男の手元を覗き込んだ。
――そうだな。男も口を緩ませた。届けるよう従者に託すと、男は再び垣の中に目を遣った。
女は、父が京の屋敷に植えたものとよく似た桜を見上げている。男も桜を見上げた。桜花は儚く散るのが宿命だが、我々も宿命は逃れられない。耐え忍ぶ年月の長さは一体、誰に解ろうと言うのだ。
季節は春、これから数多のいのちが花開く。初冠を終えて未来へ歩き出したばかりの男の行く手には、桜がはらりと散っていた。
(了)



