セミどもの鳴き声は静けさをかき乱すだけかき乱していると言うのに、「私」の聴覚は更に多くの気配のゆらぎを追うべく、きりきりと磨ぎ澄まされていく。光の粒子が木の葉の上を滑る絹擦れの音までも、「私」は聞こうとしていた。「ヒルナオクラキ」山道を行く、気晴らしの散策。「私」は歩を進める度に、全ての感覚が森の木々と同化していく妄想に取り付かれつつあった。いわゆる「ヒーリング」と言うやつであろう。「私」の魂は深いため息とともに無駄な力みを解いていく。