その三年後には、太政大臣が他界した。 随分懐いていたため、八歳の尚仁は目に涙を浮かべて葬儀に参列した。 尚仁の後見の脆弱化を恐れた私は、大納言を内大臣に任命し、その二年後には左大臣につけた。 その昇進には、天皇という立場でありながら私情を挟みすぎたかとは思ったが、客観的に見ても政治的に優れた者であると正当化した。