その男は、三日に一回だけ学校へ行く。




男にとって、学歴も、女も、いい仕事について金をもうける事は、すべてが意味をなさない。





学校へ行かない時・・・・・・彼はひたすらに、数字を追った。




どうして、そうなってしまったのかは、わからない。




彼、九重が生きる意味は数字がもつ正確性を、追うことだった。




九重は人を、心から愛したことはない。




彼にとっては愛も、感情も、なにもかもがデータの蓄積としての意味しかもたない。



彼が知りたいのはただ一つ、論理性の先にあるはずの、"究極的真理"に到達するためだった。




九重は人の顔を見て、数秒間観察するだけで、顔の配置の長さ、まばたきをする数、呼吸の数から、脈の動きまで・・・・・・・・・・"すべて"を触ることもなく予測できた。




人間の感じ取れるだろう感覚の限界を、すでに九重は越えていた。