『……ところで、私が一番嬉しかったのは、
それからちょうど4年後の、
1997年11月16日の出来事。
そう、いわゆる
『ジョホールバルの歓喜』です。
わたしは、この時も、会社を辞めて(笑)、
退職金で、現地に見に行っていました。
延長後半13分に、
野人岡野が見事にVゴールを決めて、
日本は初のワールドカップ本大会出場を
決めました。
……これは、私、いや、
日本人全部にとって、本大会出場よりも、
別の意味ですごく良かった。
ドーハの悲劇は、日本のトラウマに
なっちゃったんだよね。
あれ以来、なんとなく
「ひょっとして、日本って、
だめだめな国なんじゃないか!?」
という悲観的な空気が
日本中に漂い続けました。
しかし、ジョホールバルの歓喜によって、
それがやっと吹き飛ばされました。
あの岡野のゴールが、
日本をおおっていたトラウマを
追いやってくれたんです。
今から思えば、
ドーハの悲劇があったからこそ、
切磋琢磨して、
4年後のジョホールバルの歓喜に
つながったんだと思います』
それからちょうど4年後の、
1997年11月16日の出来事。
そう、いわゆる
『ジョホールバルの歓喜』です。
わたしは、この時も、会社を辞めて(笑)、
退職金で、現地に見に行っていました。
延長後半13分に、
野人岡野が見事にVゴールを決めて、
日本は初のワールドカップ本大会出場を
決めました。
……これは、私、いや、
日本人全部にとって、本大会出場よりも、
別の意味ですごく良かった。
ドーハの悲劇は、日本のトラウマに
なっちゃったんだよね。
あれ以来、なんとなく
「ひょっとして、日本って、
だめだめな国なんじゃないか!?」
という悲観的な空気が
日本中に漂い続けました。
しかし、ジョホールバルの歓喜によって、
それがやっと吹き飛ばされました。
あの岡野のゴールが、
日本をおおっていたトラウマを
追いやってくれたんです。
今から思えば、
ドーハの悲劇があったからこそ、
切磋琢磨して、
4年後のジョホールバルの歓喜に
つながったんだと思います』
