あった。
こんな場所にあったんだ。優海は、笑った。
『笑っている場合じゃないぞ』と聞こえた気がした。
面接の約束の時間が近い。
慌てて、自転車を立てた。
こんな時でも、ちっとも慌てない性格は、父親譲りかもしれない。
『Nesle d-na』と小さく書かれている。
ドアを開くと、奥から『面接の方?』声がした。優海は、『はい。村上優海(むらかみ ゆうみ)と申します。』と、奥に聞こえるように返事をした。少し待っていたら、煎れたてのコーヒーと主がやって来た。
優海は、履歴書を出した。主は、履歴書を見ながら『名前に海が入っているのは、海と縁があったのかな?』と言って笑った。優海は、『母が付けた名前です。父が、外国航路の船で仕事をしてました。天候不良で、私が生まれる時に、帰って来れなかったので。いつも、穏やかで優しい海を願って付けたようです。』『いい名前だね。』と主は、言った。
優海は、『私は、優子がよかったのです。父が付けたいと思っていた名前です。』
『そうか…わかりました。では、店では、優子(ゆうこ)と呼びましょう。』
優海は、複雑な気持ちで主の顔を見つめた。
『僕は、峰岡 裕(みねおか ゆう)みねさんとか、ゆうさんと呼ばれている』と言った。
『好きな呼び方で呼んでくれたらいいから。』
優海は、『採用でよろしいのでしょうか?』と尋ねた。
『もしも、ご両親が反対されるようだったら、ここに電話してくれたらいいから。では、月曜日から出勤と言う事で。』と、店のカードを渡した。
優海は、店を後にした。
家に戻ったら、父の紀敏が迎えてくれた。
「面接どうだった?」
紀敏は、優海の顔色を伺うように聞いてきた。
「店で、優子って呼んでくれるみたい。」
「ふ〜ん」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫って?」
「店長のこと?」
「ご両親に話をして、ダメだったらここに電話してと云われた。」と言って店のカードを出した。
優海は、父の顔色を気にしながら話を続けた。
母は、出掛けていた。
父は、ダメと言わなかった。