「…騙したんですね」
鬱蒼たる藪の中で、佐々木は静かに言った。そこには怒りと疑問を含ませて。
佐々木にもあぐりにも、この状況が二人にとって芳しくない事は判っていた。
「騙した?人聞きの悪い言い方だな。そもそも善意からしたんだ、私を責めるのはお門違いだよ」
「何を…!」
怒りで声が震えたのを、佐々木の背に隠れるようにして立つあぐりが不安げに見つめる。
(あぐりだけは……)
佐々木は目の前で人の良さそうな笑みを浮かべ立つ男──佐伯の、その何時もの笑みが、今ではなんとも薄っぺらに思えて仕方がなかった。
「あぐり……逃げるんだ」
「い、嫌です…」
あぐりは傍から離れまいと佐々木の袖を掴んだ。
「あぐり」
「でも……!」
佐々木は一刻も早くあぐりをこの場から逃す為、振り向き袖にある小さな手を優しく包んだ。
そして、ゆっくりとあぐりの手を袖から離す。
「行くんだ」
「愛次郎様……」
「大丈夫、直ぐに君の処へ戻ってくるから」
あぐりの瞳が揺らぐ。
離れたくない、傍にいたいと。
しかし、あぐりは頷いた。
佐々木の最後の言葉を信じて。
「早く来て下さいね?」
愛しいあぐりの声に佐々木はしっかりと頷き、口を開く。
『直ぐにまた逢おう』
その言葉を聞き、あぐりは一度微笑むと佐々木を背に足を踏み出した。
「ぅあっ――…!」
だが、無情にもあぐりがその場から離れる事は適わなかった。