老人はしばらく押し黙っていたが、やがて口を開いた。

「お前は最後の客だろうから特別サービスだ。好きなやつをくれてやる」

 顔をあげた俺をじっと見下ろす老人は、一転して穏やかな表情を見せていた。

「忘れるな。人間には死ぬより辛いことがたくさんある。『必死』に生きるってことは必ず訪れる死を受け入れて生きるってことだ。死ぬことを覚悟してこそ生きることに意味が生まれる」

 禅問答のようなその言葉は、昨日までの俺には分からないものだったかもしれない。しかし今の俺にはその意味がはっきりと分かる。

「はい……ありがとうございます」

 老人に促されて並べられたバイクへと足を向けた。その中に一台、古い中古だが綺麗に整備されてある赤い車体に目が止まる。

(これは……)

 その古いバイクに足を止める姿を不審に思ったのだろう。

「どれでも良いんだぞ」

 と、声を掛けてきた。

「いや、これをいただきたいんです」

 ステアリングに手をかけ、その懐かしいメーター周りに思い出が甦る。ホンダの250ccのオフロードバイク。それはいつも亜紀を後ろに乗せて走っていた昔の相棒だった。

「そうか」

 そう一言言うと、老人はちゃちな造りのキーを手渡し、ガソリンの入った携行缶をリアキャリアに結び付けた。