「最悪なのは貴女方の方だわ。きちんと知りもしないで好き勝手言って、懸命に頑張っている患者さん達に失礼よ!」


 清算し終えたサンドイッチを乱暴に掴み、私は怒りに任せて売店を出た。

 次から次へと怒りが込み上げて来る。


(何よ何よ何よっ! 何にも知らないで!)


 悔しく思い、私は唇を噛んだ。が、すぐに気づく。


(怖くて見ないように目を背けている私も、最悪ね)


 ずっと向き合う事が出来なかった。向き合う事が怖くて堪らなかった。


「お父さん…」


 久し振りに口にしたその言葉を、噛み締めるように心の中で繰り返した。

 本当に、この言葉を口にしたのは久し振りだった。もう何年口にしていないだろうかと思い返す。かれこれ、この五年は口にしていない。


 重病感染隔離院の最初の入院患者は私の父だった。隔離院が出来たのは父が原因と言っても過言ではない。父は原因不明で治る見込みがなく、感染する可能性のある初めての人間だった。


 父と母はあまり仲が良くなく、父が元気でいた頃も私は父との接点がなかった。

 母の言いなりで、父にはあまり近づくなと言われた事を忠実に守っていた。それを知ってか知らずか、父の方も私に近づこうとはしなかった。


 十五年前、重病感染隔離院に収容された時はほんの少し、安堵した。もう気遣わずに済むと。そう思っていたのは母も同じだった。


 解放された、そう思っていたのに──重病感染隔離院に収容されたという事実が私をより縛りつけた。