――数年後。
和人様は16歳。
私は18歳になり、篠宮家に上がって、10年が過ぎていました。
日本は戦後の混乱期にありました。
戦中、旦那様は積極的に軍に協力しておられました。
そうしなければ「篠宮家」を維持する事は難しかったのです。
しかし、戦後になって、篠宮様の土地や田畑は、様々な形で没収されていきました。
旦那様と雅之様は、苦しい中でも事業を興し、世間での「篠宮家」に対する心象を崩さぬように、心血を注いでおられました。
しかし、実際のところは、代々続いた名家も『風前の灯火』だったのでございます。
使用人たちも、だんだんと少なくなっていきました。
けれども私は、母もお世話になっていた篠宮の家から、離れるつもりは毛頭ございませんでした。
ただ、そんな義理立ては建前の事。
私は和人様の傍にいたかったのです。
和人様は16歳。
私は18歳になり、篠宮家に上がって、10年が過ぎていました。
日本は戦後の混乱期にありました。
戦中、旦那様は積極的に軍に協力しておられました。
そうしなければ「篠宮家」を維持する事は難しかったのです。
しかし、戦後になって、篠宮様の土地や田畑は、様々な形で没収されていきました。
旦那様と雅之様は、苦しい中でも事業を興し、世間での「篠宮家」に対する心象を崩さぬように、心血を注いでおられました。
しかし、実際のところは、代々続いた名家も『風前の灯火』だったのでございます。
使用人たちも、だんだんと少なくなっていきました。
けれども私は、母もお世話になっていた篠宮の家から、離れるつもりは毛頭ございませんでした。
ただ、そんな義理立ては建前の事。
私は和人様の傍にいたかったのです。