静音は天寧寺の書院で手当を受けた。

 その横では庄左右衛門が腹に包帯を巻いて貰っている。運良く大した傷ではなかった。
 善吉は僧に医師を迎えに行かせた。そして境内の骸を丁重に葬った。

 所司代には石田治部様ご許可の果たし合いがあったこと、ご不審なれば治部様にご確認のこと、と申し出た。庄左右衛門はさらに上洛していた主家筋の上杉家の直江兼続に会いに行った。兼続はこの天寧寺の復興を支えていたし石田三成の親友でもあった。
 これで万事収まるはずである。

 静音は弾を取り出したこともあって出血が酷く三日、意識が無かった。修理は肩の傷も厭わず必死で看病した。

 静音が目を醒ました時、修理はやっと生きた心地がした。
 庄左右衛門の屋敷に籠で運ばれた時、京雀たちは、不破万作の生まれ変わりだと静音を見に来た。

 数日後の晩、庄左右衛門が二人の部屋に来た。静音は静かな寝息を立てていた。
「修理、静音殿はどうかな?」
「親父様、先ほどおじやと魚を食べました。曲直瀬玄朔先生ももう大丈夫と。玄朔先生は関白様との親交もおありになって静音を見て涙を流されておりました」
「・・・」