悲しそうな顔で、手を振ってな。
海の中、鉄の塊は、凄い勢いで消えてしまった。
目が覚めたら、凄い汗をかいてたんやろな。シャツが、夏でもないのに、濡れてしまってた。
空襲に備えて、寝間着なんか、着ひんで、洗濯した、モンペとブラウスとシャツを着て、布団に入ってたから、シャツとブラウスを起きてから、着替えなあかんかったわ。
6月に入って直ぐに、空襲が、あったんよ。
それから、終戦になるまで、一週間か二週間、間隔で空襲は、続いたんよ。
6月1日、7日、15日、26日、7月10日、24日 、8月14日、
この7日の空襲で、10,000人の一般人が犠牲になったと、終戦後、発表されて知ったけど、
確かに、あちらこちらに火の手が上がって、爆風で飛ばされた家が倒れて町に、木の焼ける匂いだけでなく、髪の毛の焼けるような、きつい匂いが、漂って、戦災孤児が、あちらこちらに、たむろして、私の通ってた、いや、通うはずの女学校も、病院と避難所の代わりになっていた。
6月15日の空襲で、工場周辺も爆撃を受けて、工場も焼失してしもて、学徒動員で、工場に通ってた私らは、女学校に徴集されたんよ、今度は、爆撃を受けて、怪我した人の看護を任じられたんやけど、何十人と毎日、亡くなって行く光景は、表現出来ない異常な空間やった。
家の人は、疎開する場所を、考えては、いたけれど、身動きがつかず、空襲の度に、町内の防空壕に私共々、逃げ込んでてん。防空壕に入る度に、私は、地主の奥さんと昭雄さんをいつの間にか、目で捜してたわ。でも、ギュウギュウ詰め、見れるのは、自分の周りだけやから、捜されへんかったんよ。
6月最後の空襲、6月26日、また、B29と言う敵機が、大阪上空に現れ、また、町を火の海にしよる。
町内の徴兵されなかった男性達が、バケツリレーで、家に水をかけ、家を守り、防空壕で、老人、女、子供は、息をこらして、敵機の爆音が、消えるのを待ってた。
警報解除のサイレンで、防空壕から、人が押し流されるように、出て行った。
防空壕の中って、酸欠になるんやで、あの感じが、酸欠なんやろな。時間が経つにつれて、息がなんやしにくくなるんや。
しまいに、眠くなるんやで、死と隣合わせみたいで、ほんま、気が抜けへんわ。
海の中、鉄の塊は、凄い勢いで消えてしまった。
目が覚めたら、凄い汗をかいてたんやろな。シャツが、夏でもないのに、濡れてしまってた。
空襲に備えて、寝間着なんか、着ひんで、洗濯した、モンペとブラウスとシャツを着て、布団に入ってたから、シャツとブラウスを起きてから、着替えなあかんかったわ。
6月に入って直ぐに、空襲が、あったんよ。
それから、終戦になるまで、一週間か二週間、間隔で空襲は、続いたんよ。
6月1日、7日、15日、26日、7月10日、24日 、8月14日、
この7日の空襲で、10,000人の一般人が犠牲になったと、終戦後、発表されて知ったけど、
確かに、あちらこちらに火の手が上がって、爆風で飛ばされた家が倒れて町に、木の焼ける匂いだけでなく、髪の毛の焼けるような、きつい匂いが、漂って、戦災孤児が、あちらこちらに、たむろして、私の通ってた、いや、通うはずの女学校も、病院と避難所の代わりになっていた。
6月15日の空襲で、工場周辺も爆撃を受けて、工場も焼失してしもて、学徒動員で、工場に通ってた私らは、女学校に徴集されたんよ、今度は、爆撃を受けて、怪我した人の看護を任じられたんやけど、何十人と毎日、亡くなって行く光景は、表現出来ない異常な空間やった。
家の人は、疎開する場所を、考えては、いたけれど、身動きがつかず、空襲の度に、町内の防空壕に私共々、逃げ込んでてん。防空壕に入る度に、私は、地主の奥さんと昭雄さんをいつの間にか、目で捜してたわ。でも、ギュウギュウ詰め、見れるのは、自分の周りだけやから、捜されへんかったんよ。
6月最後の空襲、6月26日、また、B29と言う敵機が、大阪上空に現れ、また、町を火の海にしよる。
町内の徴兵されなかった男性達が、バケツリレーで、家に水をかけ、家を守り、防空壕で、老人、女、子供は、息をこらして、敵機の爆音が、消えるのを待ってた。
警報解除のサイレンで、防空壕から、人が押し流されるように、出て行った。
防空壕の中って、酸欠になるんやで、あの感じが、酸欠なんやろな。時間が経つにつれて、息がなんやしにくくなるんや。
しまいに、眠くなるんやで、死と隣合わせみたいで、ほんま、気が抜けへんわ。

