「もうすぐだよ、紫ちゃん」

車窓から吹き込んでくる風は微かながらに潮の香りがする。

「春日……」

彼女はその見えなくなりそうな目で一生懸命、海が見えるのを待っていた。

「千晶先輩っ!海っ」

波の音も車からでは微かに聞こえる程度だが、そこには海があった。
視界に広がるそれはどこまでも続いている。

夏には賑わっている浜辺もすっかり今は静まり返っていた。
俺たち以外には誰もいない――。

「潮風が少し冷たいよな、流石に」
浜辺を歩きながら伶が言った。

「そうだ……な」

「先輩、伶さん、ありがとうございます!!」
春日の笑顔はすごく綺麗でキラキラしていた。

「せっかく海に来たんだ!」
俺は履いていた靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾を膝の辺りまで捲り上げた。

「……千晶」

「春日も来いよ!!」

「はいっ!!」

季節外れの海の水はとてもひんやりとしていて冷たくて、体温が一気に奪われていくようだ。

「しっかり掴まっていろよ!」

「?」

彼女を抱きかかえ海の中を少しずつ進む。

「ちゃんと目に焼き付けたか?最後の『海』を……」

「……」
彼女の涙が濡れた頬を伝い海水と混ざってゆく。

「これからも悲しいこと辛いことがあったら、俺や伶がお前の力になってやるから……この『海』に代わってな」

「……はい」
暫くの間、俺たちは全身ずぶ濡れのまま波を肌で感じていた。